人の言動で傷つくことってありますよね。人間だもの、当然のこと。
相手に伝えてみたところ、相手の意図は自分が思っていたことと違っていたりすることもあって
「なあんだ、そういうことか」なんて経験のある人も少なくないと思います。
そういうときは、ちょっとホッとしたりもしますけれど
相手の真意を聴く前の傷つきが、あまりにも深かった場合は、なかなかすぐには立ち直れない場合もあります。
そんなとき
「わたしの受け取り方が歪んでたんだ!こんな歪んだ受け取り方をするわたしがダメなんだ。」と落ち込んでしまう、、なんてことも時にはあるかもしれません。
ここにちょっと落とし穴があります。
相手が意図していないことを「きっとこうだ」と思って傷つくというのは、認知の歪みといって
「受け取り方が歪んでいる」というのは、ある意味、本当のことです。
けれども「受け取り方が歪んでいるわたしがダメ」というのは違う。
ダメではないです。
歪んで受け取るには、そうなる経緯があって、それは生き延びるために必要だったことでもありますから。
「あ、わたしはこんなときこう受け取ってしまうんだな」と、認識すればいいんです。
今の自分を、そのまんま認めてみる。それだけでいいんです。
「これは歪んだ受け取り方だなぁ。。てへ(^-^;」なんて感じでいい。
そして
そうして生き延びてきた自分に「そりゃあ、そう思っちゃうよね。頑張ってきたもんね。」と言ってあげることができると、さらにいいです。
今の自分がどうなのか。今の自分は、どんなことにどう反応するのか。
その反応がいいとか悪いとか、ジャッジせずに、ただただ「今のわたしはこうなんだな」
それでいいのです。
否定から始めないで、受容から始めてみよう。
大変なことがたくさんあっても、一所懸命生きてきたのだから。
そうそう、それから大事なことをもうひとつ。
人は自分のフィルターを通して世界を捉えますから、どこか歪んでいることもあってあたりまえなんですよ。