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  1. 心がホッとするコラム
  2. 「Family song」のやさしい目線
 

「Family song」のやさしい目線

ドラマ『過保護のカホコ』主題歌「Family song」の歌詞には

家族の描写が一切出てきません。

 

だからこそ

誰もが安心して聴ける「Family song」だと

わたしは感じていました。

 

具体的に描写すると

そこに当てはまらない人は

「Family」として認められないと感じたり

釈然としなかったりすると思うのです。

 

誤解のないように言いますが

そういう歌がダメということではありません。

それは

描写されている家族のストライクゾーンに

投げかけるもので

「今のわたしのための歌だ!」

と感じる人がいますから

素晴らしい歌だと思います。

 

けれども

わたしは、つい

マイノリティ側に思いを馳せてしまうのです。

 

家族の描写が

父親母親がいて子どもがいてというものだったら

子どものいない夫婦は?
同性同士のふうふは?

親のいない子は?

両親がいて子どもはいるけれど、そこでは安心できない状況だったら?

外の友人たちの方が、ずっと身近で家族と感じられたら?
 

そんな中で

この「Family song」は、とても安心できたのです。

 

あるTV番組で、星野源さんが言っていました。

 

「家族の歌というのは、とても感動するしいいのですけれど

子どもがいて両親がいて、という描写になっていて

なら、子どもがいない夫婦はどうなんだろうとか・・

遠く離れて暮らしていても家族だったりするし

両親が同性っていう家族だってあるし

誰も排除されない、家族の歌を作りたくて」

 

納得しました。

 

そうそう!この視点なんですよね。

誰も排除されない

誰も疎外されない

このやさしい目線に、わたしはホッとしていたんです。

 

「Family song」

さらに好きになりました。