理由と結論が、どうも辻褄が合わないということが
まことしやかに言われている。
そんな場面に時折出会うことがあります。
たとえば、こんなふうに。
「世の中にはもっと大変な人がいるのだから
そんなことで落ち込んでいてはいけない」
「わたしはこんなに我慢しているのだから
あなたももっと我慢しなければいけない」
「昔のことで、こんなに時間がたったのだから
いつまでもこだわっていてはいけない」
どれも、理由が理由になっていませんね。
世の中にどんなに大変な人がいても
自分の辛さが軽くなるわけではありません。
落ち込むときは落ち込むのです。
我慢することを選択するかどうかは
そのときの、その人のbetterで決めることで
すべての人が同じくらい我慢する必要はありません。
時間が解決することも、もちろんありますけれど
事柄によっては、なかなか手放せずこだわり続けることもあるし
こだわるというのは、個人的なものなので
そのタイムリミットを決める権利は誰にもありません。
おや?この理由と結論はつながっていないぞ?
この言い分はおかしいぞ?
ということに気づくことで
存外、心が軽くなったりするものです。
その言い分、辻褄あってる?
そんなふうに、捉えなおしてみることです。