明らかな理由がないのに
「この人、嫌だ」とか「これやるの、嫌だ」とか感じるとき
なんでだろう?と、理由を考えがちです。
ところが
理由を見つけて、納得すると、「嫌」が強化される場合があります。
「この人は冷たいところがあるからだ」と納得すると
その人のことを「冷たい人」と決めてしまうので、ますます「嫌な人」になってしまったり
「これをやっても(わたしにとって)意味がない」と納得すると
その行動を「意味のないこと」と決めてしまうので、ますます「嫌なこと」になってしまったりするのです。
また、納得する理由が見当たらないと、なんとなく罪悪感を持ってしまったりすることもありますね。
その場合も「嫌」が強化されてしまいます。
「嫌だ」と感じている自分が「嫌」なので
「嫌」という感覚ばかりが自分の中から出てきてしまうんですね。
「嫌だ」と感じたときは
まず、その感覚そのまま認めることです。
「わたしは、この人嫌なんだなぁ」
「わたしは、これやるの嫌なんだなぁ」
と、そのまま認める。
そのうえで
嫌な人だから知らん顔するのもありだし
嫌な人でもにこにこしてもいいのだし
嫌だからやらないというのもありだし
嫌々やってもいいのだしね。
ただ
「嫌だ」と感じているということを、大切に扱いさえすればいい。
理由を考えず、とにかく「嫌」を大切にするといいんです。
理由はそのうち思い当たるかもしれませんけれど、わからないままでもいいんです。
もやもやしますか?
では、「もやもや」を大切にしてあげてくださいね。