SNSで、お父様の死をまだ悲しんでいるという投稿を目にしました。
その方は、悲しんでいる自分に気づいて、その自分をそのまま大切にされていました。
その投稿をきっかけに、わたしは、一昨年3月に他界した母のことを思いました。
2008年に脳出血で倒れた母は、会話もでき食事も普通にとれるほど元気なときもあったものの、だんだんと認知的にも体力的にも落ちてきて、最後の数年は、肺炎を起こしたりと入退院を繰り返しました。
倒れてから14年、よく回復したしよく頑張ったと思います。
永眠したときは心から「お疲れさま。ありがとう。」と言いました。
ある意味、母の死については納得しています。
わたしが今でも納得していないのは、69歳という若さで倒れてしまったことです。
自転車で走り回り、民謡を踊り、歌を歌い、仕事もバリバリやっていた母が倒れ、両足と左手の麻痺、認知機能の低下・・
あのとき倒れなければ
今でも踊っているだろうとか
時々、たくさんのお土産を持って遊びにきているだろうとか
ダンボールいっぱいの食料を送りつけてきているだろうとか
子育てを終えたわたしは、奈良のいろいろなところへ連れて行ってあげられたろうとか
現実ではないことを、時折考えてしましうのです。
そして、そんな現実に納得していません。納得する必要もないと思っています。
納得いかなくて、時々、いろいろ考えてしまう。そんな時間が、わたしは愛しいのです。
母はもしかしたら、とっくに生まれ変わっていて、そんなわたしの思いなんて知らないかもしれないけれど、それはそれでいいのです。
わたしが母を思うこと
あのまま元気だったら今頃・・と考えること
そういうことが大切なのです。
それは心の痛みを伴うことだけれど、その痛みも大切なんです。
このままずっと納得しないでおこうっと!
なあんて思ったりしています。
納得できないことは、納得しないままでいいんですよね。